こんにちは、つばきです。
モノを捨てミニマムな生活にあこがれるようになると、自然と昔の日本の暮らしがキラキラとまぶしく思えるようになりました。
NHKの朝の連続ドラマ、戦時中の暮らしを描いた映画、ドラマ、戦後すぐのモノがない頃をテーマにした映画、ドラマ。
これらを見るときは決まって、庶民の生活ぶりに目が行きます。
たくさんの便利なものに囲まれた私たちの生活よりも、生きてるって感じがします。
そんな中、以前から注目していた電気なし生活を実践する稲垣えみ子さんの「寂しい生活」を読みました。
稲垣えみ子さんの電気に頼らない暮らし
稲垣えみ子さんをゴロウデラックスで拝見して、その暮らしぶりに注目していました。
前作の「魂の退社」では、どうして退社するに至ったか、考え方が変わったきっかけは何だったのかが書かれていました。
「魂の退社」で書かれた、何に重きを置くか考えさせられた高松支社時代の生活(例えば香川人はこのお金があればうどん何杯食べられると、うどんを単位として捉えている、休日は山に登るなど)も面白かったです。
しかし、本作では待ちに待った「どうして電気を使わない生活をしているのか、どんな暮らしぶりなのか」が丁寧に書かれています。
簡単に説明すると、東日本大震災で福島の原発事故です。
私たちの暮らしを豊かに、もっとモノを購入しよう、購入させよう、どんどん消費させようという日本人一人一人の暮らしが、過度な電力消費につながり、原発事故につながったのではないか、と思われたそうです。
電気に頼りすぎている自分の生活を顧みて、原発を使わない生活をするために電気代を半減してみせようと暮らし始めます。
電気代を半分に、というのは原発の電力が全電力の半分という値から来ています。
あって当然と思っていた家電は必要ないし、私たちの頭や手足の運動を妨げる存在になっている。
私たちはモノの消費を消費することや、見栄を張ることに意固地になり、大切な何かを忘れている「寂しい生活」をしている、ということが書かれています。
トトロの草壁家に憧れて始まった私のちょっと昔の生活
私は4人家族で、稲垣さんのように電気をないものとして暮らすことは難しいです。
(同じく4人家族で電気代500円のアズマカナコさんはいますが・・・)
アズマカナコさんの記事はこちら↓
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でも私自身、ちょっと電気に頼りすぎていたり、見栄や周りの生活レベルに合わせて生活していくことに疲れているんです。
自然とともに暮らしたい。
そう思うようになってきたんです。
だから、炊飯器をやめて鍋でご飯を炊いています。
お米を洗った水や雨水をバケツにとっておき、畑やプランターの水やりに再利用しています。
ちょっとした洗濯物は、子供のプール遊びやお風呂のついでに固形石鹸で手洗いしています。
生ごみはコンポストに入れて、たい肥化しています。
平日のお出かけは、自転車と徒歩、または電車で、車は休日のみ使用します。
どうやったら涼しくなるのか、首に保冷剤を入れた手ぬぐいをまきながら、毎日実験しています。
周りの家族が夏休みレジャーで遠出しているとき、私と子供たちはメダカの観察をしたり、神社を散策したり、一緒にのこぎりを使ってDIYをしています。
古くなったタオルでぞうきんをつくっているときは、運針するほど無心になれます。
子供が寝静まった後の読書は、心の栄養です。
昭和30年代頃までの日本人の暮らしが、私の理想です。
となりのトトロが私の暮らしの教科書です。
モノは私たちを幸せにしてくれたのか?
「私たちは、モノを買えばすべてが解決したように感じている。家電は本当に私たちを楽させてくれたのか。」という稲垣さんの一文にはっとさせられました。
本当にそうだな、と。
最新のモノを買えば、今まで抱いていた不満は解消されると今まで当たり前のように思っていました。
でも、新しいモノを買うことで、また違ったわずらわしさが発生するんですよね。
当然ながら、新しいものを買うと手元のお金も減ります。
モノを買うときは、一時の「ほしい」という感情に支配されずに、それを管理していけるのか、それが必要なくなったときどうするのか、ほかの代替案はないのか、よく吟味しなければいけませんね。
もっとシンプルに、簡単に考えたら、自分を取り巻く環境への捉え方が変わり、解決策が見つかるような、そんな一冊です。
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