私の大好きなミニマリスト主婦ブロガーの森秋子さんの最新刊「使い果たす習慣」が発売されました(^_-)-☆
今回の本も私の心に染み入る至極の一冊でしたので、この感動を共有したいと思います。
「使い果たす習慣」とはどんな習慣なのか?
どうしてモノを使い果たす習慣がミニマリストとつながるのか?
「使い果たす習慣」を読んで忘れたくないと思った要点をまとめました。
ミニマリスト秋子ってどんな人?
著者の森秋子さんは、アメーバブログの整理整頓・ミニマムライフジャンルにおいてランキング1位の大人気ブロガーです。
アメーバブログでは、「ミニマリストになりたい 秋子のブログ」というブログを書いていらっしゃいます。
私も定期的に秋子さんのブログを読み、ププっと笑わせてもらったり、不用品を捨てる勇気をもらったり、便利なものを持たない人間本来の生き方のすばらしさを教えてもらったりしています。
森秋子さんのプロフィールを紹介します。
森 秋子
1979年生まれ
東京都在住の主婦
夫、子供、猫2匹で50平米のマンション暮らし
子育てをきっかけに、家事に追われ、片づけてもまた散らかる暮らしをやめたいと、ものを手放す生活を実践
時間と心の余裕ができ、自由に暮らせることを実感
無理せず貯金もどんどんできる生活にシフトする
その知恵と生活のヒントを「ミニマリストになりたい秋子のブログ」で発信したところ、月間220万PVの人気ブログに
著書に「脱力系ミニマリスト生活」
(「使い果たす習慣」表紙カバーより引用)
「脱力系ミニマリスト生活」の表紙絵に見覚えのある方もいらっしゃるのでは?
今回の「使い果たす習慣」は、脱力系ミニマリストの秋子さんが普段どんな道具を使っているのか、どんなふうに使い果たしているのか、どうして使い果たすようになったのかが丁寧に書かれています。
困ったことがあったら「家掘り」
秋子さんのブログによく登場するのが「家掘り」という言葉。
今回の本の帯にもしっかり書かれていましたし、今回の本の要となる考えです。
家掘りとは、家の中で宝探しをすること。
そのままの意味なのですが、普段何か困ったことがあった時、足りないものがあった時、私たちはすぐ新しいものを買って解決しようとしませんか?
そんなとき、すぐに買いに行くのではなく、まずは家の中を探して、所有していたことを忘れたものを発掘したり、代用できるものを探してその場を乗り切ろうよ、という考え方です。
家にある「これはこう使うべき」という固定観念をとっぱらって、新しい使い道を考えることで、買い物にいく時間もお金も使わずに済みます。
例えば、著者の場合は本の中で、
割れたコップはペン立てに
使わなくなったど派手な皿はクローゼットのハンカチ入れに
フチの欠けた皿はスポンジ置きに
壊れたもの、使わなくなったものは第二の人生を歩んでいると紹介しています。
他にも、使い残しの乳液をトイレ掃除に使う、DMの入っていたビニール袋は掃除スポンジとして使うなど、使い果たしてゴミに捨てたり、リサイクルに回すようにしています。
本の中ではさらっと「家掘り」について触れられている程度ですが、ブログのほうではかなり家掘りの成果を載せられていて、裏紙を使ってメモ帳を作ったり、スタバの紙袋で本カバーを作ったり、楽しんで家掘りをしている様子がうかがえます。
私も秋子さんのブログを読むようになってから、家の中をごそごそと宝探しするようになりました。
何かが足りない、なくなちゃったという時は、家のクローゼットをごそごそと探して、「代わりに使えるものはないか」と目をギラギラさせて探します。
買わずに家にあるもので生み出す工夫を、いつも秋子さんに教えられています。
ミニマリスト秋子さんの味わい深い暮らしの道具
この本で一番楽しく拝見させてもらったのが、秋子さんが実際にどんな生活の道具を使っているのかが、素敵なお写真で紹介されているところです。
表紙の焦げこげの味のあるやかんは、25歳で今のマンションに引っ越したときに買ったやかん。
今ではいぶし銀の風格のあるやかんです!
長く愛せるように、プラスチックのプチプラで済ませず耐久性のある自然素材を選ぶようにしているということも、私と同じ考え方でした。
でも秋子さんのすべての持ち物が、最初に値のはる上質なものというわけではないんですよ。
古伊万里のお皿はリサイクルショップで買ったもの
トレンチコートはリサイクルショップで700円で買ったもの
お出かけ用の白いバッグはリサイクルショップで買ったCOACH
仕事用の黒いバッグはリサイクルショップで1400円で買ったもの
リサイクルショップを普段使いして、自分の手元で第二の人生を歩ませています。
リサイクルショップで買った時の値段も載せているというところに、「私はこのモノが素敵と思って買ったの。値段は関係ないのよ。」という気持ちが反映されていると私は感じています。
確かに写真を拝見すると、とても700円のコート、1400円のバッグに見えません!
いかに自分たちがブランドロゴやブランドイメージでモノを買わされているのか考えざるを得ません。
どんな有名ブランドのものでも、一度人の手に渡ればあっという間に価格が下がっていきます。
新築の家もそうで、数年済んだだけで、土地代にほんの少しの上物代という値段で売買されるようになります。
果たしてすべてのものを新品で買う必要があるのか?
流行のものを季節ごとに買いなおす必要はあるのか?
モノとの付き合い方を教えてくれる項目がこの本にはたくさん紹介されています。
夫とのスパイスの効いた遊び
秋子さんのブログや本を読んでいると、世間一般的な仲良し夫婦でなくてもいいんだという安心をもらえます。
私の両親はとても仲が良く家族を巻き込んで喧嘩するという場面を見たことがないので、夫とぶつかり合ってばかりいる今の私の状況は、世間一般的に見たらダメな夫婦生活です。
子供の前では仲良く、近所の人の前でも仲良く。
そんなこと言ってられないくらい、我慢と不満が溜まりまくっています。
そんな私に秋子さんは「そんなに仲良し夫婦を頑張らなくてもいいじゃない」と言ってくれている気がします。
実は、秋子さんの本やブログで私が一番楽しみにしているのが、夫との関係にまつわるエピソードです。
前作の「脱力系ミニマリスト生活」で衝撃を受けた「夫を愛人だと思って3年接してきた」というエピソード。
もうね、目玉が飛び出るところではなく、蒸気機関車のように煙を上げてポーッ!と脳が吹き飛びましたよ(笑)
そんな風に思っていいの!?( ゚Д゚)って。
愛人だと思えば家にお金を持って帰ってくれる、娘と遊んでくれると思え、愛しく感じるというのがその狙いなのですが、夫婦は助け合って仲良く暮らしていくべきだ!という私のがんじがらめになった固定観念を覆してくれました。
確かに夫だと思うからムカついてくるんですよね。
夫なのに私だけ家事・育児をしていて協力してくれない。
休みの日にゲームばっかりしてる。
これを愛人に変換してみると、「仕事で忙しいのに私と子どもに会いにきてくれた」となるからもうびっくり(笑)
愛人なら「会いにきてくれるだけでオッケー、子供と触れ合ってくれるなんて優しい人」なんて思えちゃうのに、夫となるとハードルが上がってそれだけじゃだめとなるんですよね。
以前のブログでは「夫を留学生だと思う」という愛人の別バージョンの遊びも追加されていて、笑っちゃいました。
留学生だと思って、作った料理を詳しく説明してあげる、やり方を教えてあげる、片言の英語でスキンシップを取ってみる。
夫だと「黙って文句言わずに食ってろ」となるのが留学生のように説明してあげるだけで、夫に「妻が頑張って料理を作ってくれている」という気持ちが少しだけでも伝わるような気がします。
まだ留学生バージョンはやってないので、無言で「おいしい」とも「ありがとう」とも言わず「食って当たり前」という態度で夕食を食べている時にやってみようかな(笑)
今回の本では、エアお見合いをして趣味や血液型を聞いてみる、家キャンプのテントを夫に端に追いやられる攻防、夫が脱ぎ捨てていったスリッパなど、クスっと笑える新しいエピソードも載っていました。
エアお見合いいいですよね。
今どんなことに興味があるのかお互いに知るいい機会になりそうです。
なんだか夫の中の私は、付き合っているときのイメージのまま止まっていて、今の私がどんなことに興味があってどんな暮らしがしたいのか、全くわかっていないと感じる場面が多いです。
私も夫が今一番好きなテレビ番組、野球選手、楽しみにしていることなど、わかりません。
夫は仕事、私は家事・育児がメインの暮らし方をしていて、お互いの興味のあることを分かち合うということができていません。
恋の始まりは決まって相手の趣味の音楽を聞いてみる、好きなスポーツを見てみるとか、相手の好きなことを私も経験したいってところからだと思うのですが、結婚10年目の今改めてやり直した方がよさそうです。
モノは感情を載せているただのモノ
最後に、ミニマリストらしい考え方を紹介します。
この話は、本の終わりの方の「夫からもらったプレゼントを夫に返した」というエピソードです。
このエピソードをブログに載せてお叱りのコメントを多数いただいたと紹介しているのですが、秋子さんはこう答えています。
「私はプレゼントは、心をのせる「台」だと思っています。
愛、真心、ときには義理、謝罪などものっているかもしれません。
「台」がなくとも、上にのっているものは私には伝わりますし、正直なところプレゼントでもらうよりも、自分で探したもののほうが好きです。」
「使い果たす習慣」より引用
私もこちらよりの考え方なので、やっぱりそうだよなと思いました。
確かにプレゼントは嬉しいものです。
私のために誰かが時間を割いて選んでくれモノをむげにはできない。
その気持ちもわかります。
でも、モノはモノでしかないんです。
そのモノを渡したいと思った相手の気持ちを受け取ったら、そのモノは処分してしまって構わないと思います。
よく「これは○○さんにもらったから悪いし捨てられない」という捨てられない人の話を聞きます。
でもプレゼントをあげた方は、毎日そのプレゼントについて考えていません。
あげたものが目に入った時に「そうだ、あれをあげたんだった」と思いだす程度です。
あなたを悩ませるものをプレゼントとして渡してきた相手は、本当にあなたのことを想っているとは思えません。
本当に大事に思っている人だったら、すぐに欲しいものが聞ける環境にいるはずだし「何が欲しいの?」と本人に聞けば済む話。
それができず、なんとなく想像で「これくらいのもの、これくらいの値段でおさまるものでいっか。」と選ばれたモノはあなたにとって重要なモノであるとは思えません。
「ありがとう」と感謝の気持ちを相手に伝えて、いらないと思うものであれば潔く処分すればいいと思います。
私はモノを捨てて自分の内面に向き合うことで、かなり自分の好き嫌いがはっきりしてきました。
ネックレス一つとっても「色はゴールドで、チェーンの長さ、幅はこれくらいで、チャームはこれくらいの大きさで・・・」とこだわりがはっきりしています。
似たようなデザインのものはいらないので、一つ満足するものを手に入れたら興味はもう違う方へ移っています。
だから、人からネックレスをもらっても「ありがとう」という気持ちは伝えますが、自分で選びたかったなという気持ちが全面にきちゃいます。
私にとっては値段やブランドなんて全く関係なく、自分好みのネックレスであるほうが大事。
プレゼントを選んでくれた時間だけで十分なのです。
家にあるモノも同じです。
モノを見ていると、自然とそのモノを使っていた思い出が蘇ってきて手放すことを躊躇する場面があります。
でもそんなときは「モノはただのモノにすぎない」と言い聞かせます。
モノを使っていたころの楽しい思い出、大変だった思い出は心の貯金箱に貯まっています。
モノそのものが思い出ではないんです。
モノはその思い出を思い起こさせるきっかけにすぎない。
過去に縛られ続けるよりも、未来の可能性、ワクワクを手にしたいから、私は過去のモノを手放します。
モノをたくさん抱えていると、本当に欲しいものがやってきたときに両手がふさがっていて手を伸ばすことができません。
重い荷物を背負って歩き続けるよりも、身軽に歩きたい。
ミニマリストになることは、モノから解放され、自分の人生を自分の足で歩くことです。
モノから解放され、自分の足で地面を踏みしめてしっかり歩む、そんな暮らしを後押ししてくれる本でした。
「使い果たす習慣」
森 秋子
2018年12月 初版発行
KADOKAWA
189P
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