ミニマリスト

モノとお金を食べ物と考えてみたら、掃除や片づけの重要性に気付くはず

こんにちは、つばきです。

12月は掃除・片づけ強化月間と題し、一人で勝手にお送りしています(^^♪

毎日1か所片づけていて、何か1つでも、3つでも、10個でも、とにかく不要と判断したものを手放すという活動をしています。

毎日こんな風に片づけていて、ふと気付いたんですよね。

モノやお金って食べ物を目の前にした時の行動とすごく似ているなって

なのにどうしてモノやお金になると捨てられないんだろう?

取っておこうと思うんだろう?

モノやお金を食べ物だと仮定してみると、自分のやらなきゃいけないことが見えてくるようになります(^_-)-☆

 

誰でも大好きなごちそうってありますよね?

私の場合は、実家に帰省した時に食べる焼き肉!すきやき!しゃぶしゃぶ!

全部肉ですね(笑)

私はお盆、お正月に帰省する時は滞在費として高級お肉を持参しています。

「これ、生活費ね」といって母に現金を渡しても「自分のお小遣いに取っておきなさい」って返されてしまいます。

娘を想う母の愛情を感じるものの、一切お金を出さずご飯を食べさせてもらったり、子供に欲しいものを買ってくれたりして、なんだか悪いなって思ってしまいます。

そんな受け取り下手な私が少しでも両親に受け取ってほしいと考えたのが、高級お肉を持参してみんなで食べることです。

これなら家族みんな喜んでくれるし、自分まで普段はありつけないお肉を食べることができます。

みんながハッピーになるお金の使い方です。

それで、実家に帰省するとまず確認するのが、高級お肉が出てくる日が何日かってこと。

お正月ともなると親戚中が集まり、毎日がごちそう三昧。

母はカレンダーに夕食のごちそうの予定を書きこんでおいてくれます(笑)

母の買い物忘れ防止策でもあるんですが、私は今日はお肉だから昼食は脂っぽいものはやめておこう、今日はお寿司だから温かいものを食べておこうって対策を練ります。

胃腸が弱い私は、朝食、昼食、おやつをセーブして、めいっぱい夕飯のごちそうを食べられるように準備しておきます。

空腹感を覚えながら高級お肉を口にした時の幸福感といったら!!

本当にほっぺたが落ちそうなくらいおいしくて、嬉しくて目がほそ~くなってしまいます。

 

前置きが長くなりましたが、ごちそうのため、デザートのために少し前の食事を控えておこうとする行動はみなさんにも覚えがあるはず。

せっかくのごちそうを前にして、満腹感から少ししか食べられないなんて残念で残念でたまりません。

この考え方をモノやお金に置き換えてみるとどうでしょうか?

モノをたくさん溜めこんで溜めこんで、ずっと探していた欲しいモノに出会えたのに収納するスペースがないから断念する。

先を見通さず小さなお金を何回も使ったばっかりに、本当に欲しいモノに出会えた時に買うお金が残っていない

あらら、思い当たることばかりでなんだか心が苦しくなってきませんか?

食べ物だとしっかり自分を律して最善を尽くしてごちそうに臨むのに、モノやお金だとそれができないのはなぜなんでしょうか?

それは、「今、特に困っていないからまあいっか」という先延ばし思考が原因です。

モノを溜めこんでいても別に生活できてるし、死ぬわけじゃないからいいわ。

コンビニで毎日買い物してるけど、お給料日にお金が入るからまあいいわ。

「今、生きるか死ぬかの重要な瀬戸際にいないしなんとかなってる」という思いから、真剣に向き合おうとせずなんとなく生きている。

そしてモノの量、お金の問題がテトリスのようにどんどん積み重なり、もう載せる所がなーい!!となったときにようやく「さて、どうしよう?」と考えるんですよね。

問題を先送りにせず、早い段階でテトリスを消しておけば、安心してずっとゲームが続けられるように、モノやお金の問題も少しでも「ちょっとまずいな」と思った時に行動しておけばこんなことにならないはず。

幸せという人生のごちそうを入れるために、モノを捨て、未来を見通したお金の使い方をしたほうがいいです。

 

パンパンに詰まった冷蔵庫には新しい食材を入れられない

みなさん、冷蔵庫ってどれくらい入っていますか?

私の冷蔵庫は400Lの大きさなのですが、野菜室、冷凍室はほとんど空です。

ほとんど冷蔵庫の上段の冷蔵室だけで賄えています。

だからおすそ分けを頂いたり、お土産にケーキを頂いても余裕で収めることができます。

反対に、私の実家の冷蔵庫は常にパンパンです。

パンパンなのに2日に1回、母が買いだしに行っています。

普段でもこんな状況なのに、お盆、お正月の冷蔵庫といったらまあ大変です( ;∀;)

ラップをかけた皿に、その上にまた皿を重ねて、さらにその上に小松菜をのせて、と本当にテトリスのように食材が積み上げられ、出すにも入れるにも高度な技術が必要です(笑)

そんなギューギューに詰まった冷蔵庫の食材はどうなるかといったら、最後は母が「ごめんしようか」といつものセリフを吐きます。

「ごめんしようか」とは、つまり捨てることです。

2日前だったらまだ食べられたはずの食材、誰も手を付けなかったおかず、お土産をたくさんもらいすぎて化石となってしまった1週間前の饅頭など、大量の食品ロスが出ます。

無理して食べておなかを壊すよりはいいと思って、私も母に指定された食材を捨てていきますが、本当にもったいないなと思いながら捨てる作業をします。

倹約が常の我が家からしたらこんな高級食材、普段我慢して買えないような食材を捨てるなんて(;_;)

食べたい、もらいたいのにそれができないぐらいに傷んでしまった食材たち。

捨てられた食材も食べてほしくて我が家に来たはずだし、お金を出して買っているものなんですよね。

食材を腐らせて捨てるなんて、お金を捨ててるのと同じことです。

 

はい、ではこれをモノとお金に変えてみましょう。

パンパンに服が入っているクローゼットから泣く泣く服を捨てた経験はありますか?

私は祖父、義祖父の遺品整理の時にクローゼットを担当したのですが、二人とも上質なものに限ってきていませんでした。

有名ブランドの洋服は着ずに、スーパーで売っている服ばかり着ていたおじいちゃんたち。

その洋服ももらいたくても誰もサイズが合わなくてもらえない、バブルの頃に買ったという数十万するコートはカビだらけ。

モノも使わないと腐るんだと感じました。

私がプレゼントした某ブランドのポロシャツも、一度も袖を通していませんでした。

このポロシャツはまだ1年前のものだったので、いとこがもらってくれることになりましたが、一度も袖を通されていないポロシャツを見て自然と涙がこぼれました。

もちろん私のプレゼント選びにも難があったことは確かだけど、モノって使われて初めて生きるんだと思い知ったのです。

 

ギューギューにつまった収納の中で、息絶え絶えのモノたちは扉を開けた私たちを見て「ぜひ、中から出してください!使ってください!」と声を出しているはずです。

「ここから出して!ここから出して!」と。

そしてまたパタンと扉を閉めると、「ああ、また出られなかった」と落胆しているはず。

使わないものを解放してあげることもせず、どんどん新しいモノを買い続けて、まさしく死蔵となっている収納スペースには、新しいものを入れるのに限りがあります。

古いもの、使わないものはどんどん手放してあげることで、モノも第二の人生が歩めるし、私自身も新しいものをたくさん取りこめるようになります。

「出したら入る」

これは宇宙の法則なんです。

食べ物も出さないと、便秘になってしまいます。

家の中も、出してあげないと家が便秘になって病気になってしまいます。

今、毎日1か所片づけている私の行動も、言ってみれば一日1回のお通じのようなものなんです。

 

たくさんいただいた食べ物は近所におすそ分けすると喜ばれる

みなさんは食べ物のおすそ分けをもらったことがありますか?

私はよくもらいます!

私の友人は私と同じように実家が離れている子が多くて、実家から地元でよく食べられている食材、実家で実った果物、畑でとれた野菜などが宅急便で送られてきます。

私も経験があるのですが、親やじいちゃんばあちゃんって、ダンボールいっぱい送ってくるんですよね(笑)

それが愛情でもあるんだけど、柿など足が早い食べ物はすぐにご近所に配ってしまわないと、腐ってきます。

面倒くさいと後回しにしていると、どんどんグジュグジュになってしまって、配るに配れない。

そして捨ててしまうことになっちゃうんですよね。

実家からダンボールが届いたら、中身を確認して、家で食べる分以外はすぐにご近所に配ってしまうのが賢明。

腐らせるともったいないから、と友人もおすそ分けしてくれるので、日本全国のおいしいものを頂いています。

もちろん、私も実家から救援物資が届くと同じようにおすそ分けして回ります。

おすそ分けって配る方は「腐らせずに生かせてよかった!」って思うし、もらうほうは「思いがけず夕飯のおかずが増えてラッキー」って思うし、Win-Winの関係ですよね。

 

これをまた、モノとお金に変えて考えてみます。

自分にとっては不要なものでも、誰かから見れば喉から手が出るほどほしいものかもしれません。

私は男の子、女の子の母親なので、ご近所の姉妹を育てているお母さんからフリルやリボンのついたかわいいお洋服を頂けると、天にも昇る気持ちです(^^♪

男の子、女の子それぞれの洋服、靴、小物を揃えるのってお金がかかって大変なので、自分では手の届かないブランドものなど頂けると、嬉しくてうれしくて娘と一緒に小躍りし、ファッションショーを開きます。

たくさんお洋服を頂いて選り取り見取りな娘は、私よりも衣装持ちでうらやましいくらいです。

反対に私が捨ててしまうものでも、「ずっと探していたものが見つかって嬉しいです」とメルカリでメッセージをいただくことがあります。

メルカリなどのフリマアプリはこういった個々のマッチングに非常に適していて、不要なものがお金に変わるありがたい仕組みです。

メルカリで使っていただける方を見つけられると、私も嬉しいし、モノもきっと喜んでいるはずです。

 

お金だってきっとそうです。

老人がお金を貯めこんでいるよりも、今お金を必要としている孫、ひ孫世代に配ってくれたらどんなに助かることか、といつも思っています。

義理の祖母も「無駄遣いせずにたくさん貯めてあるから」というのですが、私は「おばあちゃんのお金なんだから、私たちの残そうと思わずに、自分のために使ってね」と言います。

義理の祖母が亡くなったら、実家の後始末、遺産相続などもめ事が起こることは、現段階でも目に見えているからです。

お金を貯めることはいいことですが、何のために貯めるかってことが抜け落ちてると思います

お金を貯めこんでおいても、遺産相続など新たな問題が沸き上がるだけ。

自分のためにお金を盛大に使ってもらった方が、経済が潤うし、心が満たされてイライラが吹き飛んで人に優しくなれるし、ありがたいのです

今、企業もお金を貯めこんでいます。

景気が良くなったと言われているのに私たちにそのお金がお給料として還元されてこないのは、企業が「将来どうなるかわからない」という不安からため込んで、私たちにお金を落としてくれないから。

「お金が余ってるんだったら、私たちにもお金ちょうだいよ」って誰もが思いますよね?

それって一個人にも言えることだと思うんです。

将来の不安からお金を貯めこんでいても、物価上昇で金額は目減りします。

お金は使ってこそ価値があるものです。

使わないお金はただの紙屑です。

お金を貯めこまず、自分の欲しいものにお金を使うこと、大切な人のためにお金を使うこと、お金に困っている人のためにお金を出すことは、お金のおすそ分けと同じなんです

ちなみに「手ぶらで、生きる。」の著者ミニマリストのしぶさんは、60万円以上は貯金しないと決めているそうです。

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13万円のMacBookをプレゼントしたり、人にお金を回すことにしているそう。

しぶさんは、「貯金をして預金通帳の残高を眺めるのが生きがいになるのは最悪だ」と言っています。

自分が何を必要としていて何にお金を使うのかを考えること、そして自分への投資をし終わったら人に回す。

お金のおすそ分けをして、Win-Winの関係になれたらいいですよね。

私は本当に小さなことですが、募金箱を見かけたら小銭を入れる、近所の神社にお参りに行くようにしています。

 

モノもお金も本質は腐る。どんどん循環させて新しいエネルギーを得よう。

見かけはモノとお金は腐りません。

服や靴はカビが生えたり、モノは壊れたり黄ばんだりしてわかりやすく劣化していくものもあります。

破れたり汚れたお金は、私たちの目に見えないところで古いお金は交換されています。

モノもお金も目に見えて腐り異臭を放つことはありません。

でも、モノやお金の使われていない悲しさが邪悪な波動となって、持ち主のエネルギーを奪い取っていきます

収納の扉を開けたとたん、その邪悪な波動があなたの周りを取り囲むんです。

真っ黒な空気が私たちの体に渦巻いている様子を想像するだけで、「ちょっと使っていないもの、捨ててみようか」って思えてきます。

役目を終えたモノは手放して、自分をワクワクさせてくれるものを手にしたいですよね。

モノが捨てられないな、金運が停滞しているなと感じた時は、

テトリスのゲームオーバーが近づいていないか

モノが腐っていないかどうか

モノが便秘になっていないか

モノが泣いていないかどうか

こんな視点から考えてみてください。

きっとあなたは8割のモノを捨てられるはずです。

 

私の寝室のクローゼット、子供部屋のクローゼットでも泣いているモノがたくさんいます。

新しい里親さんを見つけて、旅立つお手伝いをしてあげます(^^♪

 

ミニマリスト、ゼロ・ウェイストな暮らしを目指しています(^^♪

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ABOUT ME
つばき
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子供二人を持つ40代主婦です。 ゆるミニマリスト。 読書とハロプロをこよなく愛しています。