ミニマリスト

2019年年賀状を書くのをやめて考えたこと3選

こんにちは、つばきです。

私は今年初めて年賀状のやり取りをやめました

いただいた年賀状の返事を書くことも、LINEやメールのやり取りもしませんでした。

そして、年が明け年賀状が届くなか、やっぱり年賀状のやり取りをやめてよかったと改めて思いました。

その理由を解説します。

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1.年賀状にあれこれ悩む時間の節約になったから

みなさんは年賀状の作成はどのようにされていますか?

自作ですか?それとも印刷をお願いする?

最近ではスマホのアプリで簡単に注文もできるようになりましたね。

我が家では毎年決まって年賀状の作成は私の役割です

時には実家の年賀状のデザインを考え、印刷まで請け負っているときもありました。

実家からはその分作業代としておこづかいをありがたく頂いていたので、専業主婦の私には貴重な収入源ではありました。

でも、自宅の分に関しては完全に私のサービス残業です。

乳飲み子を寝かしつけ、夜な夜なパソコンに向かい、ああでもない、こうでもないとデザインを考えます。

自分の貴重な睡眠時間を捧げているのに無給。

夫は私が年賀状の作成をすることを当たり前と思っています。

眠たいのを我慢して作っても感謝されず「宛名書きめんどくせー」と言われながらその辺に印刷した年賀状をぽいっとされ、イライラするというのが毎年のお決まりでした。

年賀状の作成時間だけでなく、今年は誰が喪中だから出してはいけないとか、この人と疎遠だけど出した方がいいのかな?どうしようか?と人間関係に悩む時間も無駄でした。

こちらが手間隙かけてコメントを書いて出したのに、相手からはなんの一言もなく、子供の写真だけの年賀状をもらってもやっとする。

明らかに殴り書きで適当に書きましたという自分の名前を見てがっくりする。

名前の漢字を間違えたまま何年も届く。

それらを発見するたびにモヤモヤ。

その時間ももったいないですよね。

年賀状を出す前から時間を奪われる、書く人書かない人に悩み時間を奪われる、届いた年賀状を見てもやもやして時間を奪われる。

時間を奪ってばかりではないですか(笑)

おまけに、年賀状には届いた人に年賀状を管理させる手間と時間も取らせます

私は年賀状は1年分だけ取っておくのですが、中には何年分も捨てられずに取っておく人もいますよね。

何年も前の自分の年賀状がずっと取っておかれているなんて、考えただけでも黒歴史です(笑)

さっさと捨てちゃってほしいけど、こちらからは「捨ててね」とは言えない、それが年賀状です。

今年はこういった時間が節約になったので、自分のしたいことを優先して年末を過ごすことができました。

気持ちの余裕が例年と比べて全然違いました!!

12月25日までの大人の冬の宿題を出さずに済むなんて、誰が考えてもラッキーなことではないですか?

「宿題がなかったらいいのに」がいつの時代の子供にも願いでした(笑)

自分が主権を持って「やーめた!」といえる宿題、それが年賀状です。

 

2.年賀状を出しているのは何年も会ってない人ばかり

年賀状でやり取りしているのは、何年もあってない疎遠になっている人間関係の人ばかりでした

学生時代の友人、昔の職場の人、結婚式で会ったきりの親戚。

仲がよくよく会う人ほど年賀状は出していないという事実に気づいたときにはびっくりしました。

しかも疎遠になっている人のコメントというのが「また会いたいね」「今年は会えるといいね」といった、他人任せの再会願望ばかり(笑)

「また会いたい」と何年も書いてきているわりに、LINE IDやメルアドを書いてきたり、同窓会やるよ!とか具体的には繋がろうとしないんです。

社交辞令として「会いたい」と書いてきてくれてるだけで、実際には会わなくてもよいという関係性をわざわざおめでたいお正月に突きつけられているこの寂しさ。

なんのために62円を払って、こんな寂しいやり取りをしなければいけないのか。

それから、全然会ってない人の近況が書いてあるのですが、嬉しいことや楽しかったことの報告はこちらも嬉しくなるものです。

でも、病気自慢、孤独自慢、子供のう○ちの臭さ自慢なんてお正月早々読みたくないです(笑)

どれも2019年に私に届いた年賀状です(笑)

こんなことを年始の挨拶に書いてくるのは、はっきり言って「エネルギー泥棒」。

病気大丈夫かな?とは思いますよ。

でもそれを聞いて相手はどう思うのか思いが至らない人というのは、普段から私のエネルギーを奪ってくる人だと思うんです。

そして実際にそんなことを書いてきたのは、会うたびに愚痴る人、面と向かって嫌いと言ってきた人、会うとネガティブなことばかり言う人でした。

人間関係の煩わしさ、複雑化のためにお金を払ってまで自分を消耗しなくてもいいんじゃない?

そんな相手に付き合ってるのは、人生の無駄遣い。

 

3.他人の幸せそうな年賀状を見ても何も思わない

今年は自分からは年賀状を出していなし、ずっとやり取りをしてるけど仲がいい子には「今年は年賀状やめてみるんだ~!」と宣言していました。

だから、年に一度またはそれ以上会っていない、交流していない人から年賀状をもらったということになります。

今年は、子供の成長、海外旅行、結婚の写真の数々を見ても「ふ~ん」としか思わない自分がいました!

これには私自身がビックリ!

去年までは友達の年賀状を見ると、「今年も海外行ってて羨ましいな」とか「家族仲がよくて羨ましいな」と羨ましいしか思いませんでした。

きっと私の年賀状をみて他の人もそう思ってるんだろうけど、他人の幸せってすごく羨ましいものなのです

自分にないもの、持ってないものをたくさん持っていて羨ましいって思っちゃう。

だけど去年1年で自分なりの幸せや、自分に必要なものを考えたり、自分の人生を自分のために生きることの重要性に気づきました。

もっともっと自分の人生を生きていい、自分軸で物事を考えればいいと、たくさの本から学びました。

今はしっかり自分軸を持ち、自分の時間を無駄にしないように生きているので、他人が何を持っていようが、他人が何にお金を使っていようがしったこっちゃない。

私には少ないけどこれだけのものがあれば十分だと気づいたら、幸せそうな年賀状を見ても「あっそ。」で終わらせられる私になっていました。

自分の幸せは自分が決めることです。

他人の物差しで幸せかどうか決められるなんてたまったもんじゃない。

電気も水もあって、明日食べる食べ物があって、毎日着替えられる洋服があって、雨風をしのぐ家があって、子供たちは笑ってる。

それだけで十分すぎる幸せです。

もっともっとと欲張って自分の一番大切なものをおろそかにするよりも、自分の大切なもののためにやめることを選んでもいい。

私は今回、自分の時間を奪われないこと、自分のストレスを作り出さないこと、何年もあったない人のために思考を巡らすことをやめるために年賀状をやめました。

そしてその快感を知ってしまったから、今後も年賀状を出さない可能性が高いです。

年賀状を出さないからといって終わる関係なら、その人とは所詮その程度の縁だったということ。

年賀状を出す出さないという選択だけで、こんなにも生きるのがシンプルになるんだ!と思った次第です。

 

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まとめ

実は、私は去年まで年賀状を出さないなんてなんて無礼な奴だ!と思っていた口です。

年賀状のやり取りは大人としての通過儀礼、たしなみであると、そんな風に思っていたんですね。

だから上記に私が書いた記事を1年前の私が読んだとしたら、「信じられない!!縁のある人をそんな風に言ってひどい!!」と怒っていたことと思います。

でもこの1年でそんな考えはどこかに吹き飛んでしまいました。

いかに今までの私が他人目線で生きていたかがよくわかります。

周りがやってるから、やらないと変な人と思われるから、やりたくないけどやるのが大人だから。

でも去年1年間、自分の荷物と自分の心に向き合い、自分が大切にしたいものは何か、自分がしたいことは何かをずっと考えてきて、「嫌だ」という勇気をもっと持たないといけないと気づきました。

今までの私は誰にでもいい顔をする八方美人タイプで、本音はいつも心の中に仕舞っていました。

自分の本当の気持ちを押し殺して、他人につくしてきたけど、いいことなんて一つもなく、ただ周りの人をモンスター化するだけでした。

モンスター化した他人の言動によって、今度は自分が傷つき我慢の限界を超えました。

だから年賀状を出さないという小さな選択ですが、私にとっては自分のやりたくないことにNOを突き付けた大きな一歩なんです。

新しい一歩を踏み出した自分を褒めてあげたいです。

 

ミニマリスト、ゴミを出さないゼロ・ウェイストな暮らしを目指しています(^^♪

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ABOUT ME
つばき
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子供二人を持つ40代主婦です。 ゆるミニマリスト。 読書とハロプロをこよなく愛しています。