ミニマリスト

大切なものはもう持っているという気づきをくれたミニマリストの映画「365日のシンプルライフ」

こんにちは、つばきです。

最近はますますミニマリズムというものに心惹かれていて、本も映像作品もすっきりと必要十分なものに囲まれて暮らしているものをむさぼるように読んでいます。

映像作品だと、私は朝ドラとジブリ映画が好きです。

朝ドラの舞台は昭和初期のことが多く、戦前、戦中、戦後と庶民の暮らしぶりを垣間見れるのが魅力です。

戦中、戦後のモノがない時代を、庶民はどうやって工夫して暮らしていたかという視点で見ています。

時代劇も武士が活躍しているものよりも、町民の暮らしがわかるものが好きですね。

さて、今回は以前にも見た映画「365日のシンプルライフ」を再見しましたので、忘れないうちに感想を書きます。

2013年 フィンランドで公開。

フィンランド人の青年が失恋をきっかけにとある実験をします。

実験のルールは、

1.すべての持ち物を倉庫に預ける

2.取りだすものは1日に1つ

3.実験期間は1年

4.ものは一切買わない

この映画は主演・監督・脚本を務めたペトリ・ルーッカイネンの実体験から生まれた映画です。

1番最初に取りだしたものはコート

部屋にあるすべてのモノを倉庫に預けたペトリ。

雪の積もった道路を裸で倉庫まで駆け抜けるペトリが一番最初に倉庫から取りだしたものは、コートでした。

映画を見ながら「裸の彼は何を最初に取りだすんだろう?」と興味津々でした。

私だったら何を取りだすだろうか?毛布かな?

でもコートを選んだ彼の選択に膝を打ちました。

コートを着ていれば外も歩けますし(たとえ中に1枚も着ていないとしても)、部屋での防寒にも役立ちます。

そうか、人はパンツよりもまずコートなのね、と妙に納得しました。

それから順にペトリは荷物を取りに行きますが、あるときパタっと取りに行くのをやめます。

その時点で「生きていくために必要な最低限のものは本当に少ない」ということに気付いてしまったからなんですよね。

最終的に彼はどんなものを持ちだすのか、少ないもので暮らすことで彼に変化はあったのか、それは映画をご覧ください。

映画のスパイスはおばあちゃんの言葉

この映画に時々でてくるのがペトリのおばあちゃん。

戦後のモノのない貧しい暮らし、モノを大量に消費する現代の暮らし、どちらも生き抜いてきたおばあちゃんの言葉は、人生の本質を突いていました。

部屋はモノでいっぱいなのに心は満たされない

これが現代に生きる私たちの根っこにある悩みだと思います。

欲しいものがたくさんあってそれを手に入れるために働く、お金を稼ぐ。

そしてそれを手に入れても、もっともっとと別のものが欲しくなる。

それの繰り返しで結局本当に欲しいものは手に入れられているのでしょうか?

そんな中、はっとしたのがおばあちゃんの金言。

「幸せは持ち物でははかれない。

人生はモノ以外のもので築いていくべきなの。」

 

つい他人の持っているものをうらやましく思う自分に気付いた

昔から言われているのが「隣の芝生は青く見える」。

私も自分の持っていないものばかり目について、周りの人が本当にうらやましく思います。

休日に子供と公園遊びをしているお父さんを見ると、私もこんな子煩悩は夫が欲しかったな、とか。

足も速くて勉強もできて授業中の発表もはきはきとしているよその子を見て、うちの子もスポーツが得意だったらな、とか。

自分が風邪をひいた時、近くに住んでいる実母にご飯を作ってもらったり子供を預かってもらっているママ友を見て、私も実家の近くに家を建てられたらよかったのにな、とか。

いつもきれいな巻き髪、上品なワンピース、ブランドバッグと上質なパンプスを履いている友人を見て、お金に不自由してなさそうでお金持ちでうらやましいな、とか。

こんな風に、毎日毎日「うらやましいな」ばかり考えています(笑)

自分は持っていないけど人が持っているものってすごくいいものに見えませんか?

今はセールに行って服を買うことはなくなりましたが、セールワゴンの前で他人が持っている服がとても良さそうに見えて「あの人あの服から手を離さないかな~」なんて思ったり。

それまで全く気に留めていなかったものでも、身近な人やあこがれの人が使っている、持っているとなると途端に欲しくなってきます。

でも同じものを買ってもなんだか満たされないんですよね。

あの人が持っているから似合っているんであって、私が持っても不相応だったということがかなりあります。

私の場合、ブランドバッグや小物がそうでした。

ブランドバッグや高級車を所有することでその人のステイタスを感じたりします。

本当に欲しくてそれを持つことでいつまでも心がときめくものなら買ってもいいと思いますが、大した手入れもせず手に入れることだけが目的なら、そのモノは幸せを運んできてくれないでしょう。

「他人が持っているから」「他人より上に見られたいから」という他人軸じゃなくて、モノの本質を見極め、それを持っている自分の心が大満足するものを所有する大切さを感じました。

また、世界一貧しい大統領と呼ばれ有名になったムヒカ大統領も「モノは幸せにしてくれない。幸せをくれるのは命あるものだ」と言っています。

上質で高額なもの、そうでないものも含めてたくさんのものを所有していても、一緒にご飯を食べる相手がいなかったら?

一緒に休日を過ごす相手がいなかったら?

心をいやしてくれる動物や植物がいなかったら?

人は誰ともつながりを持たずに生きていくのは困難です。

ネットでのやり取りも人が発信しているものだから、人とのやり取りです。

コミュニケーションをとる相手がいないと、人はうつ状態になっていきます。

足るを知る

私はすでに私の手持ちにあるものを十分に生かして暮らしていきたいです。

そして縁あってつながりを持った人たちと会話をして時間を楽しみたいです。

四季の移ろい、自然の壮大さ、はかない命の花を見て、心を揺り動かしたいです。

「もっともっと」じゃなくて「もう十分ある」。

そう思うことで、身近にある幸せに気付き、今日を大切に生きていけます。

あなたの欲しいものは、もうすでにあなたの手のひらにあるはずです。

あなたの手の中にあるものを大事に育てていきませんか?

 

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ABOUT ME
つばき
つばき
子供二人を持つ40代主婦です。 ゆるミニマリスト。 読書とハロプロをこよなく愛しています。